「事実」と「感情」と。
2001年9月16日全ての感情は、一通のメールのたった一行に。
今日も某大学で事務バイト。最近の私の主な仕事は、雇い主の先生が某記念誌に投稿する原稿の打ち込みでした。その仕事も数日前に終わり、原稿も全て編集者に送って一息ついていた今日この頃。さて新しい仕事を始めるか、と雇い主さん宛のメールをチェックしてみると、編集者からの連絡が。
私の雇い主の先生は、編集者に送った先の原稿の中で、ずっと昔に行われたある先駆的研究を紹介する際に、この研究に携わった中心的な研究者として6人の名前を挙げていました。ところが、編集者経由で原稿に目を通した方(実はこの6人のうちの一人:仮にA先生とします)から、そのうち2人の名前は『掲載する必要はないように思われます』という伝言が届いたとのこと。
この原稿は確かに昔の文献を調べた上で書かれたはずなのに、何故このような伝言がわざわざ? と私は不思議に思ったのですが……雇い主の先生に50年以上前の論文の実物を見せて頂き、その理由がやっと分かりました。
この研究は、実は軍事目的だったというのです。
研究内容の詳細はここには書けません。ただ、件の2名は論文の共同研究者という形になってはいますが、その実態は軍の関係者。そして若手の研究者にしてリベラリストだったA先生は、論文のために自ら被験者となり、まさに人体実験としか表現できない程の危険に身をさらしたということです。
恐らくは軍の命令だったのでしょう。50年以上経った今も、当時の様子は古ぼけた論文の文面にはっきりと見てとることが出来ました。安全な場所で指示を出す軍人と、現場で危険と直面しつつ結果を出そうとする研究者と。
学問への情熱を胸に研究者の道を目指したはずなのに。意に反して、文字通り自らの身体と信念を犠牲にしながら、軍事研究に関係せざるを得なかった若きA先生の無念はどれほどのものだったのでしょうか。
そして今は長老と呼ばれる地位につかれたA先生は、実に平和的となったこの分野の研究をどのような思いで眺めていらっしゃるのでしょうか……
雇い主の先生は、何も言わずに原稿から2人の名前を消しました。
戦時中、このような出来事は日常茶飯事だったことでしょう。当時の研究者がどのような状況におかれていたか、その事実だけなら現在においても文献でいくらでも調べることが可能です。──そう、表面的な事実だけならば。
論文の奥に秘められた「人の感情」を、初めて自分の心で感じた日。
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