祭りの秋、芸術の秋。(と食欲の秋)
2001年10月23日今日は京都市美術館で開催中の「レオナルド・ダ・ヴィンチ《白貂を抱く貴婦人》チャルトリスキ・コレクション」(リンク)を見に行くことに。本展の目玉作品は、なんといっても世界で10数点しか残っていないダ・ヴィンチの真筆油彩画。3枚しか存在しない女性肖像画の中でも、最も美しいと讃えられる作品...これはぜひ見ておくべきでしょう。
今回のお供は友人U。彼は美術史学専攻なので絵画にやたら詳しい。美術展巡りの解説係に一家に一台...ではなくて頼りになる存在なのです(と持ち上げておこう)。前もって待ち合わせ時間を決めておく。確かこの日は昼から英会話の授業があるけど、終わり次第すぐに美術館に行けば待ち合わせ時間に間に合うはず。
で、当日。いきなり寝倒す(爆)。この時間からでは英会話はとっくに終わっているし、Uとの待ち合わせ時間にも間に合うかどうかひじょ〜に微妙...慌てて身支度を整えて家を飛び出す羽目に。バス、電車、地下鉄と乗り継いで、東山駅の階段を息せき切って駆け上がる。
と、目の前には。
墨の跡も鮮やかに「楠公上洛行列」と書かれたのぼりが。
一瞬、何のことやらさっぱり分かりませんでしたが...そっか、今日は時代祭の日。昨日は雨模様だったので順延されていたのです。時代祭自体は学部生の頃にさんざん見に行ったのでもう興味はありません。が、美術館があるのは行列ルートの終着点・平安神宮のすぐ近く。必然的に行列を横目に見物しつつ、観光客の波をかき分けかき分け道を急ぐことに。
楠木正成を追い抜かし、羽柴秀吉や明智光秀を従えた織田信長の顔を拝み、いつしか安土桃山時代を後にして。室町時代のしんがりを務める出雲の阿国に追いついたあたりでめでたく美術館に到着。15分の遅刻なり。とりあえずUに謝っときましょう。ぺこり。
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さて、肝心の美術展ですが...大部分はルネサンス期の宗教画や工芸品で占められています。シロートにはその価値は分かりませんが、ショパンの肖像画やマテイコの絵画は個人的には面白かったかな、と。
問題は《白貂を抱く貴婦人》。広い部屋の一隅に黒山の人だかり。ものものしい警備に守られ、係員の「立ち止まらずに見て下さい」の声に押されるように、歩きながらのガラスケース越し御対面となったのですが...それがその、何というか、素人の私にも分かるくらいに「!」な作品...
こ、こんな絵ひどすぎる〜。(T_T)
ダ・ヴィンチの絵をけなすつもりは毛頭ありません。確かにこれは非常に素晴らしい作品なのですよ。ただ、あまりに納得できない点が幾つか。
ダ・ヴィンチの油彩画の特徴としてまず挙げられるのが「陰影を施したぼかし画法(スフマート)」。モナ・リザがそうであるように、ダ・ヴィンチの絵は輪郭がぼんやりとした感じに描かれていることが多いのです。でも、この絵の女性の顔はかなりはっきりと描かれている。絵の横の解説板にダ・ヴィンチ作の3枚の女性画の写真が並べてあったのですが、他の2作品と比べるとその差は歴然としています。
さらにひどいのが背景。ダ・ヴィンチの他の絵から推測するに、女性の背後には風景画か何かが描いてあったと思われるのですが、何故か真っ黒に塗り潰されている。そのために人物の輪郭がはっきりと浮かび上がって非常に不自然に感じられます。それだけならまだしも、塗りつぶし方が明らかに人物側にはみ出ているから頭部が絶壁になってるやん〜(涙)。
でも、友人Uの解説によると仕方のないことなのだそうで。聞くところによると、この絵は幾度もの戦火をくぐり、第二次世界大戦中にドイツ軍の手に渡るなどしたためにかなり保存状態が悪かったらしい。そのためにかなりの修復を必要としたのでしょう。Uの予想では、ダ・ヴィンチの筆跡がそのまま残っているのは白貂の顔と女性の肩付近くらいじゃない? とのこと。
私や彼が感じた不満点が正しいのかどうかは分かりません。
しかし、それでもなお、時代を超えて人々を魅了し続けるのは、加筆や修復を繰り返してもなお失われない独特の雰囲気ゆえなのでしょう。どこか寂しげな女性の微笑み、今にも身をくねらせそうにリアルに描かれた白貂...その価値を否定することは私には出来ません。その点において、見に行った意義は十二分にあったのだと思います。
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そして、美術館を出た後は当然ケーキとお茶。ごちそうさまでした。
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