それは、ごくごく普通の葬儀社の手による看板のように見えた。
 普段なら見過ごしてしまいそうなさりげなさで、それでも街角に溶け込むことかなわず。独特の無常感と非日常感を身に纏うモノトーンの案内看板。

   *  *  *

 バスに乗って大学に行く途中、ぼんやりと車窓から外を眺めていると、ふと、見覚えのある名前が視界をよぎる。
 どこかで聞いたことがあるのに。軽い苛立ちと共に記憶を辿る自分。
 数秒後、その名前とかつて見たインドの赤茶けた土壁の風景が一本の糸で結ばれた時、既にその看板は視界の外に移動した後だった。

 それは、故・秋野不矩さんの葬儀案内。

 かの方は京都の人だったのか、と軽い驚きを覚える。聞くところによると、生前は美山町で自宅アトリエを構えて亡くなる直前まで創作活動に励み、その葬儀は岡崎の東本願寺岡崎別院で営まれたとのこと。
 別に京都在住だったからといってどうということはない。ただそれは、あの素朴かつ温もりにあふれた作品群が、私に馴染み深い土地において創作されたという、その距離感と事象の交わりを再確認する過程での驚きとでも言えるのだろうか。あまりにも個人的・感傷的ではあるけれど。

 そう、それは数年前。何の予備知識もなしに東山の地を一人散歩していると、いきなり目の前に故・山村美沙宅が現れた時の不思議な驚きに似ているのかもしれない。あの時も氏が亡くなったばかりの頃で、玄関先には大きな花瓶に色鮮やかな花々が生けられていたっけ。

   *  *  *
 
 さて、私はどのような印象を生み出すことが出来るのだろう?


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