あれから7年。
2002年1月17日7年間、一度も震災のことは書いてこなかった。
1995年1月17日、午前5時46分。
私が住む町では不思議なほど被害は少なかった、と思う。
少なくとも自宅での器物破損はゼロに等しい。
その瞬間、一度は起きたけれどまた寝てしまったくらい。
その日は昼からドイツ語の試験。
休むことも出来ず、ニュースもろくに見ずに家を飛び出す。
JRが不通のため、遅れがちな私鉄を乗り継いで、
普段は片道1時間半の距離を、3時間近くかけて大学へ。
ほとんどいつもと変わらない教室で試験を受けて、
夕方、家に帰る頃にはJRは復旧。
私の直接の知り合いで亡くなった人はいないけど。
建物の下敷きになりかけながら危うく難を逃れた先輩、
本棚が倒れたものの、辛うじて机の陰にいて助かった人、
家を半壊で失った同級生、などの話はたくさん聞いた。
神戸で陶器専門店を営んでいる私の親の知り合いは、
商品の実に半分以上を失う事態に陥ったとか。
この方の御両親は神戸市北区で身動きが出来なくなり、
私の親は阪急やJR福知山線、寝台列車まで乗り継いで、
飲料水や食料を届けに出かけていった。
私は自宅で留守番。そして大学で試験の日々。
その後、半年以上の時が経過するまで
私は神戸近辺に足を踏み入れていない。
つまり、私は当時の被災地の、実際の光景を知らない。
ブラウン管の画面や新聞の写真を別にして。
被災者のための寄付にも協力した。
半年後の神戸で、街角の裏に残る震災の跡も確認した。
たとえ被災直後にボランティアに行ったとしても、
おそらく何の役にも立てなかったと思う。
#これは言い訳でも何でもなく、私の体力や能力、
#そして「障害」を勘案した上での客観的判断。
それでも。せめて一度は、自分のために。
この目で被災地を見ておくべきではなかったのか、と。
7年の間、ある種の後ろめたさを心の中に宿しつつ。
それでも毎年この日になると、
想像でしかない被災地に立ちつくす自分が、ここに。
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