Reading:『四季をめぐる51のプロポ』
2002年3月21日『四季をめぐる51のプロポ』
(アラン著・岩波文庫)2002年3月刊
著者はフランスの哲学教授。「プロポ」とは著者が作り出した文学ジャンル。巻末の解説によると、これは紙葉一枚二ページにに修正なしで一気に書かれた断章であり、文章化された事象のひとつの「かたち」でもある。いわば哲学的な思索を基に展開されたエッセイ集ともいうべき作品だろう。
まるで季節や自然の風物に寄り添うかのように、日々うつろう主観や心情を歌に詠み、文章に託してきたのが日本の伝統文化であるならば。それとは全く正反対に、著者はあくまでも自然と対峙し客観化する視点を通して人間自身を見つめようとする。そこに存在するのは、表面的には季節の風物を論じつつ、それでも自己に立ち返って観念的・内向的にならざるを得ない表現の断片たち。この点に東西の自然観の相違を見出すことができる。
「ぼくは今、朝の景色を見ている。日が昇る。それとともに一瞬一瞬、景色が変わる。しかし、ぼくの眼だけは別の見方で景色を見ている。ぼくはその眼で、めざめ、気付き、判別する。(中略)最初の世界との交わり、最初のヴィジョン、それはもう二度と生まれない。」
そう。理性の力で事象から感情を突き放そうとする彼にとって、季節は「人間と世界をつなぐ、時の結び目」に過ぎなかったのだ。なぜなら、全ての事象は思索への導入部なのだから。
問題、回答、そして問題。
2002年3月13日<問題>
「『-4×-3=12』の意味を(分かりやすい例を挙げて)説明しなさい」
<とある中学生の回答例>
「父は髪の毛が1日4本ずつ抜ける。3日前の毛は12本多かった」
ある日の某新聞のコラムより。この回答には心底「参った!」と唸らされました。私も嫌々ながら12年に及ぶ数学・算数の義務教育を受けさせられてきましたが(大学では数学と名のつくものから逃げに逃げたのでどうでもいい、逃げ遅れた分については思い出したくない...)、これほど直感的、かつユニークに『マイナス×マイナス=プラス』の意味を説明した表現は聞いたことがありません。この中学生凄すぎだって。
そして、ふと思い出したのが次の疑問。
<問題>
「ある数を分数(例えば3/4)で割り算する時、なぜ逆数(この場合は4/3)を掛けると答えが得られるのか説明しなさい」
友人によると、この問題は映画『おもひでぽろぽろ』の主人公も分からないと話していたそうで(私は実際に観ていないので定かではない)。確かに、数学が超苦手な私でも納得できるような答えはまだ聞いたことがないような...これまでいかに「暗記」のみの計算に頼っていたかを実感しています。暗記自体は受験・生活の両面において確実に必要な能力であり、また有益な手段だとしても。
そこでどなたか数学が得意な方、よろしければ秘密メモか私のサイト掲示板(http://mbspro6.uic.to/user/mooncat.html)で自分なりの回答を教えて頂けませんか? よろしくお願いします。
* * *
>家所伊右衛門さん
お気に入り登録ありがとうございます。えっと実は、そちらの日記は何度もこっそり拝見したことがあります...(^-^;; 早速こちらからもと思ったのですが、何やらサーバの入れ替え中らしくてお気に入り登録が出来ない模様。今しばらくお待ち下さいませ。
untitled...
2002年3月9日“The BEST”は現在から見た過去の一評価でしかない。
その瞬間、瞬間のmore betterの薄い切片を積み上げていく。
そのための選択肢はなるべく多く用意しておく。
立ち止まるのは、後退から前進へ転ずる際の過程と信じて。
私は、刹那的な生き方しか出来ない人間だから。
コメントをみる |

自分のための読書メモ。
2002年3月8日2月始め頃からMacの調子が不安定になって早一ヶ月が経過。テレビも映画も好きじゃない、駄文書きもネットも満足に出来ない、勉強? それってオイシイ? ...となると、必然的に読書(と音ゲーと散歩)ばかりで日々を過ごすことになります。
以下の読書タイトルはそんな私の約40日間の軌跡。
※○…読了 △…途中 ×…未読(2/1〜3/8購入分)
○21世紀研究会編『イスラームの世界地図』(文春新書)
○南伸坊『仙人の壺』(新潮文庫)
○東浩紀『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)
○ル・グウィン『帰還 ゲド戦記最後の書』(岩波書店)
×山内一也『BSE 狂牛病・正しい知識』(河出書房新社)
×矢吹寿秀・NHK「狂牛病」取材班『「狂牛病」どう立ち向かうか』(NHK出版)
○板垣雄三編『「対テロ戦争」とイスラム世界』(岩波新書)
×石原真弓『英語で日記を書いてみる』(ペレ出版)
△向山淳子+向山貴彦『ビッグ・ファット・キャット 世界一簡単な英語の本』(幻冬舎)
○カタログハウス編『大正時代の身の上相談』(ちくま文庫)
○村上龍『eメールの達人になる』(集英社新書)
×藤原和彦『イスラム過激原理主義』(中公新書)
△辻井喬『伝統の創造力』(岩波新書)←難しすぎて挫折ぎみ
○田口ランディ『もう消費すら快楽じゃない彼女へ』(幻冬舎文庫)
○戸瀬伸之・西村和雄『大学生の学力を診断する』(岩波新書)
○松葉仁『ケータイの中の欲望』(文春新書)
×藤原帰一編『テロ後 世界はどう変わったか』(岩波新書)
○東郷雄二『独学の技術』(ちくま新書)
△米川明彦『手話ということば』(PHP新書)
以前からの積読本からめでたく救出された本としては、森博嗣『スカイ・クロラ』(中央公論新社)くらいか。
少年ジャンプとモーニングは毎週欠かさず愛読中。女性誌も何冊か購入。あとは川原教授の漫画を再読したりとか、何故か『あずまんが大王』1〜3巻を買ってみたりとか(笑)。
もともと私は小説や文学の類が大の苦手。ハードカバーは文字数の多さと本の厚みに圧倒されてこれまた苦手(←根性なし)。自然科学系の新書を好んで読むのですが、どうも最近は面白そうな本が見つからず、つい不得意分野の補完として社会科学系に手が伸びてしまいます。積読本の中に何冊か自然科学系を用意してはいるのですが...ついつい新刊に目が向いてしまって衝動買い。
昔はこれでも読書少女だったのに。とある制約のために、読書を再開する心情になれたのはつい最近、実に10数年ぶり(決して誇張表現でないのが悲しすぎる)だったりします。おそらく、こうやって読書にのめりこむことのできる期間も時限的なものとならざるを得ないのですが...今しばらくは余計なことを考えずに、文字と表現の波間を漂う生活を楽しむことにしましょうか。
もとはチェーンメールから。
2002年2月23日私は認知心理学について特に勉強したことのない素人ですし、だいたい常識に近いことなのでわざわざ書くまでもないのですが。というかあまりに乱暴すぎる話なので特に最初は読み流して頂きたいのですが。(^^;;
2桁や3桁の簡単な整数ならいざ知らず、人間は非常に大きく抽象的な、もしくは微小な数値をそのままの形で出されても理解しにくい、という性質があります。何となく頭の中で想像はしてみても実感を持てない。この場合、数値を具体的にイメージするのに有効な方法として「数値を単純化する」「一部分を取り出して例示する」「数値の相対化・対数化」などの方法が挙げられるでしょう。
例えばアメリカの同時テロ事件。全被害者の総数を実感を持って把握出来た人はそういないはず。むしろ「ビルに突っ込んだ旅客機には□人の客が乗っていた」「○階のフロアには△人が取り残されていた」という個々の事実を取り出し、逃げ遅れてビルから飛び降りるたった一人をクローズアップした方が事件の本質をより直接的にイメージ出来るはず...ってこれは単純すぎる頭を持つ私だけですかそうですか。
その意味において、ここ数ヶ月のベストセラー『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス)は、本来は抽象的にすぎる世界の現実を単純化した図式で切り取り、かつ筆者が意図するところを非常に直感的な形で提示してのけた好著だと思います。その代わり、代償として現代世界が決して逃れることの出来ない「複雑さ」をも切り捨てることになりましたが...それは別の本でフォローすればよいだけの話。むしろ、読む側が自覚してフォローすべき話。
ま、私個人としてはあんな薄っぺらい本にお金を払う気にはなりませんでしたがね...(もちろん立ち読みで済ませた)
* * *
いや、私が書きたかったのはそんな偉そうな話ではなくて。つまりですね。この手の本が流行ると必ず本屋の店頭に出現する「二匹目のドジョウ」、日本の出版業界におけるあの風潮はいい加減にどうにかして頂きたいのですが。そう、今回の場合は吉田浩『日本村100人の仲間たち』(日本文芸社)のことです。
いくら商業主義の金儲けのためとはいえ、こんなオリジナリティの欠片もない本を書いていて恥ずかしくないですか? と私は著者に聞きたい。出版して恥ずかしくないですか? と出版社に問いたい。ま、出版するのは勝手といえば勝手なのですが、何だか読者を不当に低く見られているような感じがして気にくわないのですよ...そんなに馬鹿じゃないはず、なのに。むぅ。
節分といえば。(3)
2002年2月8日*後日談 : 母娘の平和すぎる会話。*
私「そういや、今年は鰯を食べんかったなぁ」
母「食べたやん」
私「はぁ? いつ?」
母「太巻きに入ってたやろ? ちりめんじゃこ」
……ち、ちりめんじゃこぉ?
あれって鰯だったっけ……広辞苑広辞苑……
確かに「イワシ類の稚魚をゆでてうんぬん」と書いてありますが、
果たして鬼はこれを恐れてくれるのでしょうか。
ま、「鰯の頭も信心から」と言うからいいかぁ。うんうん。
(↑使用例が微妙に合っている気がしなくもないのが悲しすぎる)
節分といえば。(2)
2002年2月6日昨日の続き。
さて、問題なのは3番目の「太巻き丸かぶり」。毎年変わる恵方(今年は北北西)に向かって、太巻き寿司(海苔巻き)をまるまる一本かじります。するとこの年は無病息災、幸せに暮らすことが出来るのだとか。ちなみに恵方とはこの年の歳徳神(さいとくじん)のいる方角で、干支によって決まります。
少なくとも京都では、2月になるとスーパーからコンビニに至るまで店頭に太巻きが並び、節分当日になると寿司屋の前にずらりと長蛇の列ができあがります。この風習、最近では関東でも少しずつ知られているらしいですが、初めて見るとかな〜り不思議な光景かも。
なお、この時の注意事項としては「太巻きを切らない」と「無言で願い事をしながらかじる」の2つ。何でも太巻きには「福や商売繁盛、厄除けなどを巻き込む」という意味があり、切れ目を入れると福がこぼれる恐れがあるのだそうです。または太巻きを「鬼を退治するこん棒」に見立てているとも。
...でもね、太巻きって直径5cm、長さ十数cmはあるでっかいお寿司でしょう。あれを一人で一本完食なんて絶対しんどいって! そして、家族揃って同じ方角を向きながら無言で大口を開けて太巻きにかぶりつく...想像するだけで笑えてきて仕方がないのですが。誰がこんな風習を考えたんだよ全く。
そこで気になるのはその由来。通説によると、この風習は江戸後期〜明治初期にかけて、大阪(奈良、愛知、和歌山の説もあり)の商家が一種の厄払いとして、商売繁盛・無病息災を祈願して始めたと言われています。または新町、堀江の色街の遊里関係者たちがなじみと縁が切れない縁起として丸かぶりを食べたのが始まりとも。市内の一般家庭でもごく内輪で行われたりしていたそうです。
そして1977年。大阪海苔問屋協同組合が節分のイベントとして「巻き寿司の早食い競争」を道頓堀で実施。それをマスコミが取り上げ、それに食品メーカーが便乗して、海苔需要の拡大のために「丸かぶり」を浸透させたというのが真相のようです。そう、つまりはバレンタインデーと同じ! いや〜、私もまさか本当に『海苔屋の陰謀』『寿司屋の陰謀』説が正しかったとは思いませんでしたよ(笑)。さすがはナニワの商人魂。
まぁそれでも季節イベントは楽しければ良し、というのが私の信条。ということで、今年もしっかり恵方を向いて(しかも方角が食卓と反対方向なのでわざわざ後ろ向きで)、無言で太巻き丸かぶりをめでたく敢行致しました。ただし、my母が作った太巻きは長すぎたので3分の1に切って...やっぱりこれじゃ効き目がないのでしょうか。巻き込まれていた福はこぼれちゃったのでしょうか(泣)。>大阪海苔問屋協同組合様
<参考サイト : 順不同>
「こよみのページ」
http://koyomi.vis.ne.jp/mainindex.htm
「何でも調査隊 豆まきのなぞ」
http://www.asahi-net.or.jp/~uw7y-nkmr/
「PariParifactory これであなたも海苔博士」
http://www.paripari.co.jp/hakase.html
「大阪風味−くいだおれ大阪どっとこむ!」
http://www.kuidaore-osaka.com/2top/fumi/01_shokusai/02-022.html
「今日は何の日2月3日」http://www.php.co.jp/today/2-3.html
「海苔JAPAN」http://www.nori-japan.com/
節分といえば。(1)
2002年2月5日2月1日、京都・某役所の食堂における昼定食のメニュー。
・鶏そぼろと卵そぼろのどんぶり
・味噌汁
・小鉢一つ
・イワシの焼き魚
・太巻き一切れ(笑)
・炒り豆一袋
余計な心配1: 炭水化物過剰、ビタミン類が不足気味です。
余計な心配2: 豆は年齢+1個ずつ支給されたのでしょうか...?
* * *
少々時期を逸してしまいましたが、2月3日の節分の話でも。
立春の前日にあたるこの日、京都の寺院・神社は一斉にお祭りモードに突入します(一部は2日から)。祭りの内容は追儺式(ついなしき)に狂言、福豆の授与、節分祈祷会に舞踊奉納、と場所によって非常に多彩です(註1)。例えば東山通りを歩いていると、普段は見落としてしまうような小さな神社にも、ちゃんと紅白の幕が飾られていてなかなか壮観。頬に当たる風は未だ冬のものでも、確かに近づきつつ春を感じてちょっぴり心躍るひととき。
また、京都には「四方参り」といって、東北方は吉田神社、東南方は伏見稲荷大社、西南方は壬生(みぶ)寺、西北方は北野天満宮に参拝する風習があります。特に吉田神社の「追儺式(鬼やらい式)」と壬生寺の節分会(せつぶんえ)は非常に有名。どちらも数十万人の人出で賑わいます。ちなみに私は吉田神社派。大学入学以来、ほぼ毎年(もちろん今年も)参拝していますが...その話は後日また改めて。
そしてこの日、庶民の生活に欠かせない風習は「豆まき&自分の年齢+1個の豆を食べる」「鰯(イワシ)を食べる、焼いた鰯の頭を柊(ヒイラギ)に刺して門口に飾る」「今年の恵方に向かって太巻きを丸かぶりする」の3点セット。初めの2つはともかく、3番目の話は関東の方にはなじみが薄いそうで...どうも関西(というか上方)独自の風習のようです。鰯と柊の話もそれほど有名ではなさそうですし。そこで豆関連の話は後回しにして、まずは鰯と柊と太巻きの不思議な三角関係について説明をば。
まずは「鰯の頭を柊に刺して飾る」風習について。これは鰯を焼く時の悪臭と煙によって邪気が家の中に入るのを防ぎ、柊のトゲで鬼の目を刺す、という意味があるそうです。また鰯の頭の異形を鬼が嫌うとも。最近ではややすたれ気味の風習ですが(そういや私の家でもやってないや)、千年以上の昔から受け継がれてきた厄除けのまじないのようです。
そして、家庭によっては夕食に鰯を食べることもあります。この理由まではさすがに調べきれなかったのですが、おそらくは上記のまじないに基づくのだろうと推測。
さて、問題なのは3番目の「太巻き丸かぶり」。
...ですが、ちょっと長くなりすぎたので続きはまた明日に。(^^;
(註1)例えば、http://www.kyoto.isp.ntt-west.co.jp/wnn/kanko/setsubun/etc.html を参照のこと。それにしても多い!
*「月猫のつぶやき」出張版* 京都ラーメン食べある記。(2/4追記)
2002年2月2日・今日のラーメン『中華そば東龍』
(http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Stage/1168/)
京都の有名ラーメン店『唐子』の元店長が経営するお店です(といっても、私は『唐子』には大昔に一度行ったきりなので、あまり覚えてはいませんが...)。開店して約一年。元『唐子』(註1)のファンを中心に、口コミでいつも行列が出来ていると評判。行った時も約15人待ち。
この店は初めてなので、まずは看板メニューの「東龍そば(600円)」をネギ少な目で注文。このラーメンの特筆すべき点は何といってもスープでしょう。豚骨、鶏ガラ、野菜で取ったという薄黄色のスープは丹念にアクが取り除かれており、少々とろみがあって背脂が全く浮かないタイプ。一口すすると、あっさり塩味なのにコクがあり、クリーミーとも表現できる実に上品な味。上にかけられた細かな赤い香辛料が快い辛さを添えています。と、ここまで書いていてこれがラーメンスープの形容か? どっかのコーンポタージュと間違えていないか? と自分でも思うのですが、事実そうなのだから仕方がありません。
そして、半分ほど食べたところでおもむろに「ニラ麻油」(ニラを唐辛子主体の調味料で和えたものと推測・各テーブルに備え付け・入れ放題)を入れると味が激変。唐辛子のきいたパンチのある風味に変わります。この味の「崩れ方」まで計算に入れているとはなんて凄腕な店長。なお、麺は太い縮れ麺、トッピングは細いメンマ、薄目チャーシュー、ネギ、そして海苔。麺は女性の私にとってもかなり少な目だったので、寒空の下待たされて空腹でがおーな方は、大盛りか替え玉を頼んだ方がベターでしょう。
「少々乱暴な言い方だけど、『天下一品』(註2)の正反対を追求している、と形容すればいいのかな」とは某氏の弁。あぁ、確かにめちゃくちゃ分かりやすいよそのたとえ!(笑)
* * *
(註1)
本文中では『唐子』がつぶれ...いや、諸般の事情により閉店したような表現になっていますが、店自体はまだ東山二条に存在しています。ただ、スタッフ総入れ替え状態のため以前とは味がかなり違うという噂...もっとも、現在の味が美味しければ何の問題もない訳で。一度、自分の舌で確かめに行って来よう。
(註2)
京都のラーメン事情をご存知の方には蛇足もいいところですが、これでは不親切すぎるので補足。『天下一品(天一)』については、私の以前の日記(前のHN「chaton♪」時代のものです)に体験記を書いたので参考にしてやって下さい。
→http://www.note.ne.jp/diary/10986/20001125
→http://www.note.ne.jp/diary/10986/20001126
なお、参考サイトの「超弩級らーめん・天下一品」は移転されています(→http://www.owariya.com/ten1/)。私のしょぼい体験記などとは比較にならない面白さ。かの天一の魅力を余すところなく伝えていらっしゃいます。ぜひご覧下さい。
電波な連動企画。
2002年1月24日取り急ぎ。
前回の往復書簡集により、ウドーン、むしろうどんについて激しく間違った知識を仕入れてしまった被害者の皆様へ。
フリスク氏(http://www.note.ne.jp/diary/15617/)が正しい麺類の作り方について、適切な例を挙げつつ明快にレクチャーして下さっています。是非、御一読をお薦めします。
温飩の由来は混沌、で正しかったのですね。失礼しました。(^^;
(http://www.cecile.co.jp/udon/kobanashi.html)
うどん伝説よ永遠なれ。<往復書簡集>
2002年1月22日以下は1月5日、私が香川県内を旅行している時に、フリスク氏(http://www.note.ne.jp/diary/15617/)より送られてきた携帯メールです。念願の美味しいうどんを食べた後、ローカル電車に揺られている最中にこれを読んだ私の気持ちを察して下さい。
-----
Subject: うどんのできるまで(妄想です)
なぜ東洋水産がうどんを作るのか、なぜさぬきうどんはうまいのか。それは水のせい。大阪湾や瀬戸内海に生息する水棲生物ウドーンが産直で手に入るからです。ウドーンは海蛇の一種で細い体と危険な牙を持ちます。昨年毒牙にかかった海女さんは28人、うち6人が無言の帰宅をしました。空気にさらすと飛躍的に体長を伸ばします。切ってもすぐさま再生します。加熱によって絶命します。その際身は白く変化します。植物性のうどんは戦後の代用品でしたが、生産性の高さから近年シェアを高めているそうです。
-----
数日後、同氏より送られてきた携帯メール。
-----
Subject: 友人に送った追加条項
うどんの語源は温飩(うんどん)、その語源が混沌にある事実も興味深い。昔(奈良時代渡来)は小麦粉の団子に餡を入れて煮た食べ物で、形が不定形だからそう呼んだらしいです。
-----
この2通をムリヤリ読ませた私の友人達の統一見解。
「うどんの語源が温飩だとする説は正しいのだろうけど、その語源が混沌ってのは怪しい。そもそもこの人のメールってだけで怪しすぎる」
続いて、ぼの氏(http://www.note.ne.jp/diary/19860/:お気に入り参照)による発言。
「…これは深刻な問題ですね。しかしいまや天然記念物となりつつあるウドーン、捕獲して養殖するべきなのでしょうが天然ものには適うまいし、いかがいたしましょうか…」
さらに数日後、フリスク氏より追加メールが届く。
-----
Subject: Fw:瑣末通信
尚、『愚鈍』の由来は、動きの鈍い(おいしくない)ウドーン、からきている。
以上、友人黒鳥くんからのメール。さらには、「伝説によるとメドゥーサの髪の毛はウドーンだったという。それにしてもN井達は日々混沌を食らってたことになるなー」とも。ちなみにN井はみかんの国出身。我が友ながらナイスです。
-----
不覚にもメドゥーサに反応してしまった私からのメール。
-----
Subject: 秋の夜空が泣いている。
ということは、メドゥーサの首を取ったペルセウスは、アンドロメダ姫と共にぴちぴちのウドーンに舌鼓を打ったのでしょうか。「あんまり新鮮じゃないから美味しくなーい」「仕方ないだろ、はるばるペガサスに乗って運んできたんだから」
-----
間髪入れず帰ってくるフリスク氏からのメール。
-----
Subject: よく知ってますな
ほほえましい絵ですね。しかしメドゥーサは鏡の楯で石化した気が。腰のあるウドーンができそう。
-----
どうも私は悪ノリすると止まらないらしい。
-----
Subject: もと天文少女ですから。(^^)
確か、メドゥーサ自身は石化しなかったような…検索検索。なるほど、鏡の盾はペルセウスがメドゥーサの姿を写すのに使っただけで、その時メド(略)は眠っていたとか。ウドーンのコシの強さはむしろ、陸生・水生の違いで論じられるべきでありましょう。
-----
フリスク氏よりとどめのメール。
-----
Subject: 今は天然少女でしょうか。(^^;)
貴重な情報ありがとう。今気になるのはイブをそそのかした蛇とマーキュリーの蛇の味です。
-----
<結論1>
マーキュリーはローマ神話で水星を表す神。ということは、マーキュリーの2匹の蛇も水に関係すると考えられます。一方、アダムとイブをそそのかした蛇は陸生のはず。ウドーンの味は水質に左右される以上、恐らくは前者の方がコシが強くて美味しかったのではないでしょうか。
それにしても。神話の時代にこの2匹が混沌から生まれ出たとするならば、前者は水生ウドーン、後者は陸生ウドーンの祖先となったのではないかと推測されます。そうなると語源にもピタリ当てはまる訳で実に素晴らしい。そんな証拠はどこにも存在しませんが。
<結論2>
全員ヒマ人。(^^;;
#なお、関係者の皆様には全て転載許可を得ております。
#ありがとうございます。
あれから7年。
2002年1月17日7年間、一度も震災のことは書いてこなかった。
1995年1月17日、午前5時46分。
私が住む町では不思議なほど被害は少なかった、と思う。
少なくとも自宅での器物破損はゼロに等しい。
その瞬間、一度は起きたけれどまた寝てしまったくらい。
その日は昼からドイツ語の試験。
休むことも出来ず、ニュースもろくに見ずに家を飛び出す。
JRが不通のため、遅れがちな私鉄を乗り継いで、
普段は片道1時間半の距離を、3時間近くかけて大学へ。
ほとんどいつもと変わらない教室で試験を受けて、
夕方、家に帰る頃にはJRは復旧。
私の直接の知り合いで亡くなった人はいないけど。
建物の下敷きになりかけながら危うく難を逃れた先輩、
本棚が倒れたものの、辛うじて机の陰にいて助かった人、
家を半壊で失った同級生、などの話はたくさん聞いた。
神戸で陶器専門店を営んでいる私の親の知り合いは、
商品の実に半分以上を失う事態に陥ったとか。
この方の御両親は神戸市北区で身動きが出来なくなり、
私の親は阪急やJR福知山線、寝台列車まで乗り継いで、
飲料水や食料を届けに出かけていった。
私は自宅で留守番。そして大学で試験の日々。
その後、半年以上の時が経過するまで
私は神戸近辺に足を踏み入れていない。
つまり、私は当時の被災地の、実際の光景を知らない。
ブラウン管の画面や新聞の写真を別にして。
被災者のための寄付にも協力した。
半年後の神戸で、街角の裏に残る震災の跡も確認した。
たとえ被災直後にボランティアに行ったとしても、
おそらく何の役にも立てなかったと思う。
#これは言い訳でも何でもなく、私の体力や能力、
#そして「障害」を勘案した上での客観的判断。
それでも。せめて一度は、自分のために。
この目で被災地を見ておくべきではなかったのか、と。
7年の間、ある種の後ろめたさを心の中に宿しつつ。
それでも毎年この日になると、
想像でしかない被災地に立ちつくす自分が、ここに。
コメントをみる |

お正月といえば。
2002年1月15日15日までは松の内(←昔は)、ということでお雑煮の話。
毎年お正月になると、必ずといっていいほど話題になるのが各家庭の「お雑煮」の種類。丸餅か角餅(切り餅)か、餅は焼いてから入れるか焼かずに煮込むか、具は何を入れるか、汁はおすまし仕立てか濃い醤油味か、はたまた京風白味噌味か合わせ味噌か...現在においてもほとんどの家庭で作られており、かつ各要素の組み合わせ方は地域や家庭によって千差万別。お正月の定番として、これほど共通性がありながら個性豊かな話題も珍しいかもしれません。
まずは雑煮の定義から。
ぞう-に【雑煮】
餅を主に仕立てた汁もの。新年の祝賀などに食する。
餅の形、取り合せる具、汁の仕立て方など地方により
特色がある。雑煮餅。(広辞苑第五版より引用)
では何故、新年にお雑煮が食べられるようになったのでしょうか。私が検索した中では「ルーツ探訪2001年12月」(http://www.hosshi.or.jp/1_roots2001/)の解説がもっとも詳しいようです。つまり、神様への供物のお下がりを頂いて調理したのが雑煮の由来だとか。もともと雑煮は儀式料理、いわゆる「ハレの日」の御馳走だったのが、室町時代の末期頃に正月料理の風習として定着したということです。
それにしても不思議なのは「餅には何故、丸餅と切り餅が存在するのか」。私が調べた限りにおいては、残念ながらその理由はよく分かっていないらしいですが...(ご存知の方情報求む!) 雑煮の餅は本来、神様への供え物であったこと(前出「ルーツ探訪」)、また古来、神前には円形の鏡をおいて祀るのが日本の礼式であり、その鏡の形を模して丸く平たく作ったものが鏡餅であること(註1)などの記述を読むと、少なくとも丸餅の形の由来はこのあたりにあるような気がしてきます。
また、別の説によると餅は本来「望(もち)」つまり陰暦15日の満月を表しており、円満をイメージしているとのこと(註2、註3)。そして、関東の切り餅はあくまでも実生活の必要性・合理性から生まれたということです。それでも「角を丸くするために」必ず焼いて膨らませるあたり、どこか健気で可愛い話。だから関東では餅は焼く、関西では煮込む、という傾向が生まれたのでしょう。
(なお、角餅は「四角四面は正直に生きる」を意味するという説もあり。さらに私の親は「餅にカビが生えないように水につけて保存する時、溶け崩れにくいように丸餅が使われている」と言っていましたが...さて、これは本当なのでしょうかね?)
ちなみに私の家のお雑煮は『汁は昆布とかつおダシを効かせたおすまし/餅は丸餅を焼いてから/具は水菜(ほうれん草の時もあり)、金時人参、しいたけ、カマボコ/仕上げにたっぷりの花かつおを乗っける』です。母方が岡山出身なので、そちらの雑煮の影響を強く受けている模様。ただし、親が「煮崩れた餅は嫌い」だそうで、あらかじめ餅を焼く箇所だけが期せずして関東流になっていたり(よって祖父母宅のお雑煮は、内容も味もほぼ同様ですが餅だけは生からしっかり煮込まれています。溶け溶け)。
そしてこれだけ京都に近い場所に住んでいながら、かの有名な京風白味噌仕立てのお雑煮は未だに食べたことがありません...というか、味噌汁に餅を突っ込むこと自体が想像できない。ま、お雑煮なんてそんなものでしょうね。自分の家で食べるお雑煮こそが、その人にとってのベストお雑煮。だからこそ、伝統が失われつつあるなどと言われる現代においても家庭の味が連綿と受け継がれ、いつの世でも正月定番の話題となるのでしょう。
さてと。来年のお正月には、白味噌雑煮を食べてみようかな。
註1:山田餅本店「お鏡餅」(http://www2k.biglobe.ne.jp/~ykatsuya/1kagamimochi.htm)
註2:JA全中「雑煮(ぞうに)」(http://www.zenchu-ja.org/JAnewHP/ja-zenchu/data-syu/okome/07/764.html)
註3:損保ねっと「東西南北 雑煮対決!」(http://www.sonpo.ne.jp/HokenClub/mame/spbk/02/index.asp?not_menu=0)
*本日のおまけ*
・「日本全国お雑煮マップ」(http://www.gsi.go.jp/WNEW/LATEST/special96-97/szouni.htm)
国土地理院の職員さん達によって作られた雑煮分布地図。これを見ていると「Diary Noteお雑煮マップ」を作りたくなってきます。誰か一緒に作りませんか?(笑) それにしても、かの「餡入り丸餅」入り雑煮は鳥取と香川で食べられていたのね...知らなかった。
・「日本鏡餅組合」(http://www5.mediagalaxy.co.jp/kmochi/index.html)
いや、こんな団体があったのかとびっくりしただけ(笑)。
お正月の風物の一つ、鏡餅について詳しいサイト。でも、私の家ではここ数年お鏡は飾っていません。なんとなく、ですが。
お知らせ。
2002年1月10日*本日の心温まる母娘の会話。*
私「あのさ〜、何年も前に買ったお守りさんて今でも
効き目あるやろか?」
母「今年買ったのでも効くかどうか分からんし」
私「・・・・・そりゃそやけど」
時々、妙に鋭い発言をするので困ってしまいますmy母。
* * *
お知らせ。
Diary Noteよりももう少し短文や日々のメモを気軽に書ける場所が欲しいと思い、このたび別に一言日記のページを作りました。現在、サイトTopでひそかに毎日更新中の「本日の月猫」過去ログ置き場を兼ねていたりもします。
『月猫のつぶやき』
(http://www.himitsuya.com/rental/cgi-bin/MHNOTE/mooncat/note.cgi)
こちらはお気軽お気楽更新です。内容はか〜な〜り〜適当なのであまり期待しないで下さい。(^^;; ...ですが、Diary Noteよりは頻繁(ほぼ毎日:希望的観測)に更新するつもり。よろしければ、時間のある時にでもお立ち寄り頂ければ嬉しいです。
なお、Diary Noteは比較的長文&気合いの入った文章(笑)を不定期に書く雑文帳として続ける予定。秘密メモも当然書きます。今まで同様、気長にお付き合い下さいませ。ぺこり。
当たるも八卦。当たらぬも...
2002年1月3日今日は恒例となった北野天満宮への初詣(寺には既に行ったけど)。私の当てにならない記憶によると、中3の時に高校合格祈願でお参りして以来、天満宮(大阪天満宮を含む)には毎年のように参拝しているような気がします。だって相手は菅原道真、天神様。学生にとっては一番身近な神様ですから。
#中3当時はまさか、ノストラダムスの大予言の年が過ぎてからも学生を続けているとは思ってもみませんでしたがね。
ちなみに中3の初詣時に撮った写真が今でも手元に残っていますが、現在の私とほとんど変わらない外見(ただしお肌のツヤとハリを除く:泣)なのはいつ見ても笑ってしまう。というより中3時代の方が余程しっかりしているように見えるって。いやはや、今の私は童顔過ぎるのだと納得させられる瞬間です。
閑話休題。相変わらず参拝客と屋台でごったがえす参道をすり抜けすり抜け(東京などの混雑に比べるとはるかにマシな部類だと思う)、鳥居をくぐり、まずは境内に散財する牛の像の一つをなでなでなでなで。なんでもこれらの牛の像は、菅原道真が亡くなったのが丑の年、丑の日、丑の刻であることが由来となって奉納され、現在では神使の聖牛とされているそうです。で、牛の頭をなでると頭が良くなるのだそうな。もっとも、これまでなで続けて十数年。私の頭は悪化の一途、な気がするのは気のせい気のせい(笑)。
そして本堂にて参拝。今年の願いは3つ。
最後はやはり初詣には欠かせないイベント、おみくじ。
気になる結果は...二年連続の「大吉」♪
おみくじなんて所詮、当たるも八卦、当たらぬも八卦。あらかじめ他人によって用意された既製品の未来の文面を、十数〜数十分の一で引き当てるだけの行為。大抵の場合、数日後にはその結果を忘れ去られてしまうもの。それなのに、何故そんなに結果を気にする必要があるのでしょうね...いやその、私は現役時代に「凶」、浪人時代に「吉」をひいた経験があったりするのですが(汗)。それはともかく、私自身の中では、たかがおみくじと言えど何となく無下に扱うことが出来ないでいるのです。最終的には本人の努力次第だと固く信じてはいても。
私自身は今のところ、信じる宗教を持ち合わせていませんが...現在に至るまで受け継がれてきた信仰や伝統、儀式といった存在には一定の敬意を払わずにはおれません。時代に即して変えるべきものは変えなければいけないし、変える必要がある。ですが、儀式の底辺に流れる「精神」には常に尊重すべきものを感じるのです。時を経ても存在する必然を有する、理屈ではない、何かを。
そんなの科学的な思考じゃない? 確かにそうかも。
このあたりは自分の中でも結論が出ていない部分なので、今はこれだけしか書かないことにします。これから様々な経験を経て、いつか人生が終わるまでには何らかの真理の一片が見えてくることを祈って。今はただ、素直におみくじの結果を喜んでおくだけ。
そして、今年引き当てた分はお財布にしまい込んで(大吉はお守り代わりに持っていた方がいいらしい)、代わりに一年間持ち歩いた昨年のおみくじを改めて結びつけておく。
一年間ありがとうございました。今年の願いも叶いますように。
後日談。
2002年1月2日1/1の早朝初詣話。元旦の夜、親戚の家に出掛けた際に親が祖母に話したところ、「若いのに信心深くてええことや」と妙に感心されたそうです。
...あ、あのごめんなさいおばあちゃん。
私は別に信仰心が篤い訳でも何でもなくて。単なるイベント好きでミーハー(死語)なイマドキの現代人に過ぎません。それに朝の散歩は気持ちよくて好きなのですよ。これが徹夜明けではなく、早起きの結果ならさぞすがすがしい毎日が送れそうなのですが。
* * *
ということを友人に話すと、
「いや、イマドキの現代人も朝っぱらからそんなことはしないと思う...」と真顔で言われました。
なんですか、もしかして私は「天然」なのでしょうか?
...あ、あう。
*本日の裏技・おさらい編*
深夜に相互リンク相手の秘密メモを見たい時は...
[バックナンバー]→[最新の日記へ]をクリック、でOK。
普通に見るだけだと、最近では早朝5時までキャッシュに飛ばされるようです...わざわざこんな時間に確かめる自分もどうかと思いますけどね。我ながらやれやれ。
朝もやの中で。
2002年1月1日1月1日午前7時。ふと、初詣に行こうと思い立つ。
行き先は自宅から片道徒歩30分の某寺院。当然、ひとり。
念入りにコートとマフラーを着込んで。
元旦の朝は朝もやの中。人影はほとんど見えず、車の通りもまばら。ときおり犬の散歩をする人とすれ違いつつ、田んぼの中の遊歩道をのんびり歩いていくひととき。
全ての景色の輪郭はぼやけて、もやの動きに合わせてかすかに揺らぐ。
今朝はあいにくの曇り空。多分、初日の出は見えない。
それでも空の一部分の色が微妙に異なるのが分かる。遠く住宅街の向こう、青みがかった灰色の雲の層。それでもわずかに薄くなったところがほのかに赤みを帯びて...まるで桜貝や珊瑚のよう。
言葉は次から次へと、とめどなく脳裏を流れていくのに。
その断片すら捕まえられず、メモも取らず。
空を見上げて白いため息。
7時半頃、予定通り寺院に到着。普段の開門時間は8時だけど、元旦に限っては0時から開けるとのこと。といっても、除夜の鐘が鳴り終わる頃ならともかく、こんな時間に参拝客が押し寄せる訳もなく。参道は人影もまばら、たまに早起きの家族が行き交う程度。山門をくぐり、石段を登るともうここは別世界。
本堂の中も参拝客はわずか数人。押し合いへし合いすることもなく、ゆっくり参拝できるのはなんだか嬉しい。宗教は持たない人間にも儀式は必要なのだろう。気持ち新たに、自分の内の世界に区切りをつけるのは嫌いじゃないから。
今年のおみくじは「吉」。冬枯れの木にも緑が芽吹くそうな。
うふふ。
誰もいない広い境内を散歩して、再び山門に戻ってくるともう8時。ぼちぼち参拝客も車も増え始め、門前に並ぶ屋台も準備を始める時間。活気のあるエンジン音があたりに響き始める。
どんなに服を着込んでも、山の中にいるとさすがに足元から冷えてくるのは否めない。早く家に帰ってお風呂で暖まろう...と思った時、雲が切れて朝日が差し込んで。その眩しさに目を細めつつ、あたりを包み込んでいたもやがいつしか晴れているのに気付く。
全ての存在が輪郭を取り戻す瞬間。
「昨年から今年へ、今年から来年へ」。
朝もやの中の、たった一時間だけのゆらぎの狭間。
* * *
今年はのんびり書きたいものを書いていきます。よろしく。
NPT。(12/17PM)
2001年12月15日【NPT】
核不拡散条約:Nuclear Non-Proliferation Treaty
ではなくて。「なべ・ぷろじぇくと・ちーむ」(笑)
* * *
学部生時代のサークルの友人達が作り、私も参加しているメーリングリスト「NPT」。普段は飲み会のお誘いや個人的な生存証明などに使われているのですが、このたびめでたく本来のML存在意義に基づき、鍋パーティー@A氏宅の知らせが届いたのでした。ここ数日の冬の始まりとはとても思えない寒さ、あったかい鍋は冷えた体に染みいる美味しさと予想されます。よし、今回は参加する方向で。
そして土曜日、鍋当日。まずは午前中に大学での用事を済ませてから...のつもりが、何故か起きたら既に正午過ぎ(爆)。大学の所用はなかったことにする。人間、諦めが肝心なのです。
慌てて支度を済ませて、土曜出勤だった鍋出席者O氏と京都駅で待ち合わせ。まずはJR大阪駅へ。開店後初めて見るヨドバシカメラを物珍しげに眺めた後、おもむろにO氏を茶屋町チルコポルト(注:しつこいようですがゲーセンです)へ引きずっていく私(笑)。いや、だって、昨日からGF7th&dm6thのロケテストが始まっていると聞いたからには行かなくちゃいかんでしょう。たとえ本日の鍋仲間に「そぉか、俺らよりゲームの方が大切なんやな...」と寂しげに言われたとしても。恨むなら前日にロケテ情報メールを寄こしたゲーム友達S氏@広島を恨んで下され。責任転嫁万歳。
そんなこんなでGF7thの新曲を一通り。個人的には「BURN」と「みかんの歌」が熱い! あと「O JIYA」のクリップのインド人の動きが怪しすぎて大爆笑。今回は基本的に難易度高めのハードロック群が楽しそうです...ま、オタクな話はこのくらいで終わり。
ちょうど大阪駅に戻ったところで、O氏の携帯にしびれを切らせたA氏から電話。遅いというお叱りの言葉を頂く(笑)。やがて最寄り駅に着いた頃、白ネギとアイスクリームを買ってくるようにとの追加指令。いや、遅れたこちらが悪いのですが...でも、もうアイスクリーム? まさか鍋は既に終了というオチじゃないでしょうね? 私、今日はまだ一食しか食べていないんだよ〜。(不安)
心なしか早足でA氏宅へ...鍋の具はまだ残っていました。ほっ。
本当は10人以上が来るはずだったのですが、急用や何やらで実際に集まったのは7,8人。たまたまいらっしゃったA氏の会社のご友人一名を除くと、あとはもう長年の勝手知った間柄。男性だろうと女性だろうと、社会人だろうと未だ学生だろうと遠慮は無用。
めいめいが鍋をつつきながらビールやワインを大量消費していく中で、私は悠然と持参した純米吟醸をちびちび。半合ほど飲んだところで「酔った〜」と人の家の冷蔵庫を開けて、ポンジュースを勝手に飲み始める始末(笑)。我ながらめちゃくちゃですな。他にも暴言あり放言あり、それでも絶妙に気を遣いあえる間柄は流れ去った時間のなせる技。
一応、誤解のないように書いておきますが...私は日本酒は好きですが、アルコールに強いかどうかは別問題。案の定、今回も早々に酔いが回ってぼけ〜っと壁にもたれつつ、目まぐるしく変わる場の話題になんとか耳を傾ける。
例えば某氏の、アメリカ同時テロのために投資で損してどうたらこうたらという話に、社会人と学生とのれっきとした差を感じたり(その日暮らしの貧乏学生の辞書に「投資」などという単語は存在しない)、学生時代、あれほど真面目で威厳のあった某氏が今ではすっかり看護婦フェ(以下略) とまぁ、皆さん昔とそれほど変わっていないように見えても、やはりどこかに抗えない時間の流れを刻んでいるのですね。淋しいけど仕方ないのかな...などと酔った頭でぼんやり考えてみたり。
「しかし、お前は昔から変わらんな〜」
これは私に? さてどうでしょう...外見は変わらなくても。うふふ。
そうしているうちに帰宅の時間。慌ててアイスクリームを食べて、終電に間に合うようにA氏宅を一足お先に辞する。お疲れさまでした。次はお正月にでも、また。
一農学部生の戯れ言。(1)(12/15PM)
2001年12月14日農水省や厚労省の調査が確定してから、と思っていたのですが...いつまで経っても進展しそうにないので見切り発車。一応、農学部に所属する一学生として(ただし反主流の研究室かも、ね)荒削りながら断片を出してみることにします。狂牛病問題。
なお、以下はあくまでも私の不十分な知識により、問題のひとつの側面の提示を試みているに過ぎません。ご了承下さい。なにしろ狂牛病騒動が内包する問題は多岐に渡っているため、全てを網羅的に分析し書くことは私には出来ないし、紙面も足りません。だいたい誰もそんなもの読みたくないでしょう(笑)。既に新聞などのメディアで整理されていることを今さら書いても仕方がないのですが。
* * *
道県や農水省などの調べにより、現在までに見つかった狂牛病の感染牛は三頭とも誕生時に同じメーカーの代用乳で育てられていたと判明。さらにこのうち、千葉で見つかった一頭目と北海道の二頭目には同じ配合飼料が与えられていたという報道。
この代用乳は全国農業協同組合連合会(全農)により一括して販売されており、原材料の一つとして動物性油脂や動物の血しょう蛋白が含まれている。この油脂の原料には牛脂が使われているため「製造過程の中でプリオン蛋白が混入する危険性はないとはいえない」。
そして、配合飼料の製造工場では牛の飼料と豚・鶏の飼料(肉骨粉を使用)の製造工程が重なるラインで十分な洗浄がなされておらず、豚と鶏の飼料に入れる肉骨粉が「牛の飼料に混入しなかったとは言い切れない」とのこと。
狂牛病発生の原因として目されている事実のうち、報道メディアにより公開されているのは今のところこのくらいでしょうか。未だに調査が確定していないため、以下は仮定の話にならざるを得ないのですが...
本来は草食の家畜に、乳量を増やすため、生育効率を高めるため、などという理由で動物性・植物性蛋白質を食べさせる。もちろんこれは生物学的には非常に不自然な行為に違いありません。
そして、そもそも何のために肉骨粉を製造する必要があったのか。リサイクルという名の経済性、つまりは人間の都合を重視した結果ではなかったのか。詳しい因果関係の説明は今回は省きますが、このあたりの要因が重なることで狂牛病という病気が発生し、被害が拡大再生産的に広がったというのが最近の論調となっています。
しかし私は、今回の狂牛病の「感染被害の拡大」に注目した場合、その一因として、経済性や効率性を追求した結果、酪農業や畜産業が高度にシステム化・画一化されたことも挙げられると思います。そう、例えば、これまで農協が全国各地で酪農技術から経営、販売に至るまで一括して強い指導を行ってきたような、その組織的な経営システム自体に問題があるのではないかと。
三匹の乳牛は異なる地の異なる牧場で生まれながら、同じメーカーの代用乳を飲まされていた。この事実からして既に不自然でしょう。本来なら、牧場が違えば当然食べている牧草も違う。母牛が出す乳の質も変わってくるはずです。しかし経済性を重視して母牛の乳を販売に回すために子牛を離し、代わりに全国で規格統一された代用乳を与えるよう指導した。このため、一種類の代用乳を原因とした病気が各地でほぼ同時に発生したとも考えられます。
これは広く単一作物・単一銘柄が栽培されるようになり、同じ農薬を使った結果、同じ害虫や病気が大発生して被害が拡大する傾向がある現在の農業と同じ理屈。ここでは地域差や個体差といったものはほとんど考慮されていないのです。
現在は多様性の時代、とよく言われます。では、多様性を重視して一軒の、もしくは一グループの農家が独自の酪農経営を試みたとしても、現状では農協が流通ルートに関して強い権限を持っているため、個人で出荷や販売を行うことは非常に困難なのは否めない。成功し、安定した経営を行えるケースはごく一部でしかありません。
これまでに積み上げられてきた、農協を中心とした効率的な酪農システムが日本の酪農業を安定した状態に支えていたのもまた事実。これを否定する気は全くありません。ただ、今回はそのシステムが有する脆弱性の側面ゆえに狂牛病の感染拡大が起こった、そんな気がします。
現在は農家や農協側からもそのような経済性一辺倒なシステムの弱点が指摘され、改革議論が起こっているとのこと。いまだ未熟で勉強途上の一学生としては、まずはこれからの動きを注意深く見守っていくことにしましょうか。
* * *
>フリスクさん(http://www.note.ne.jp/diary/15617/)
まさかあれが紹介されてしまうとは。(^^; 最近、更新していないのにやたらカウンターの回りが早かったのはそのせいでしたか(笑)。